令和6年(2024年)度 育成功労賞

卯瀧 逸夫

 1977年から約50年近く高校野球に携わり、京都府立北嵯峨高等学校、京都府立鳥羽高等学校、立命館宇治高等学校、初芝橋本高等学校で監督を務めた。守備を中心とした基本に忠実な野球で第69回全国高等学校野球選手権大会にて甲子園初出場を果たして以降、北嵯峨高校で春夏通算5回、鳥羽高校で春夏通算3回、立命館宇治高校で春2回、合計春夏通算10回甲子園に出場した。中でも第72回選抜高等学校野球大会ではベスト4、第69回全国高等学校野球選手権大会ではベスト8へと導いた経歴を持つ。北嵯峨、鳥羽という府立校を率い、春夏合わせて8回も甲子園の土を踏んでいるのは特筆すべき点である。また、5校にて、43年間監督を務めた中で、プロ野球選手を4名も輩出し、高校野球の指導者となった教え子も多く、高校野球界の発展に寄与した功績は評価に値するものである。

令和5年(2023年)度 育成功労賞

燧土 勝徳

 平安高校(現龍谷大平安高校)軟式野球部の監督を11年間務めた。 在任期間中に、全国高等学校軟式野球選手権大会へ5回出場して準優勝に二度輝き、平成10年の国民体育大会では優勝を果たすなど、同校を全国の舞台へ何度も導く手腕を発揮して活躍した。監督退任後は、京都府高等学校野球連盟軟式部の理事長として、京都府や近畿地区の軟式野球界を長きにわたって支えた。また、京都府高等学校野球連盟の副会長  を4年間、会長を2年間務め京都府の高校野球の発展に大きく寄与した。

令和4年(2022年)度 育成功労賞

市田 匡史

 宮津高校・加悦谷高校・西舞鶴高校・峰山高校在職中に、監督・部長を務めた。卓越したノックの技術と、選手の個性を伸 ばし生かす指導で、プロ野球で活躍した糸井嘉男選手をはじめ、多くの優秀な選手を排出し、近隣高校の模範となって京都府北部を代表する指導者 として活躍した。また、2年間、京都府高等学校野球連盟の理事も務め、京都府の高校野球の発展に大きく寄与した。

令和3年(2021年)度 育成功労賞

奥本 保昭

 1986年から20年間、京都成章高校で監督を務めた。当時、最先端のトレーニングや呼吸法、メンタルボディワークな どを導入し、第77回選手権大会にて甲子園初出場を果たした。その後、第70回選抜大会、第80回選手権記念大会にも出場し、第80回大会で は準優勝へと導いた経歴を持つ。2008年、京都市立塔南高校へ就任し、同年の秋季近畿大会に出場させるなど同校の躍進へと導いた。公立高校 でも甲子園に出場するという意気込みを選手たちに伝え続けると同時に、学校生活の姿勢がグラウンドでも現れるということも伝え続け、 2020、2021年度の21世紀枠推薦校の京都府代表として推薦された。両校にて34年間監督を務め、プロ野球選手を6名も輩出した経歴も 持ち、教え子の高校野球指導者も多く排出した功績は評価に値するものである。

令和2年(2020年)度 育成功労賞

井口 浩己

 1983年から33年間部長・監督として指導を行い、京都市立高等学校の高校球児の育成に努めた。2013年、第85 回記念選抜高校野球大会には堀川高校野球部監督として、進学校の中で野球の力を伸ばしたことが評価され、21世紀枠推薦校として京都府・近畿 地区代表として推薦された。堀川高校の57年ぶりの選抜大会出場は叶わなかったが、高校野球への情熱で元気と全力疾 走をテーマに掲げ、長年 チームを作りあげてきた 功績は評価に値するものである。

令和元年(2019年)度 育成功労賞

義村 浩昭

 1985年から34年間部長・監督として指導を行い、第71回選抜高校野球大会には部長として甲子園に出場した経歴を持つ。1997年5月より本連盟理 事、2005年から副理事長に就き理事長を補佐した。「夢の向こうにin京都」「日米親善野球大会」「一般財団法人化」「海外遠征」等の事業 においても重要な役割を果たし、成功裏に終えた功績は評価に値するものである。
 また、北部球場の大会運営責任者として、長年職責を全うした。

平成30年(2018年)度 育成功労賞

原田 英彦

 野球を通じた 人格形成を第一とし、24年以上に渡り平安高校硬式野球部で指導を行っている。輩出した卒業生たちは、プロ野球選手をはじめ社会人野球や各方 面で活躍している。高校野球指導者として平安高校で指導中、甲子園出場16回、勝利数26勝と、高校生の野球技術向上にも顕著な結果が表れている。就任4年目の1997年選手権大会の準優勝や、2014年の選抜大会での優勝は注目に値するものである。

平成29年(2017年)度 育成功労賞

小林  潤

 昭和59年か ら32年間野球部監督として指導し、その間春季優勝1回、同準優勝1回、選手権京都大会ベスト4が1回、秋季ベスト4が3回という成績を残し た。桃山・鳥羽は定時制併置校であり、限られた練習時間の中で、いかに集中して練習を行うかを課題として取り組んだ。教え子3名が高校の教員 となり、硬式野球部の部長・監督として後進の指導に当たっている。
 平成15年から本連盟理事を、同18年から副理事長・副審判部長として、連盟の運営に努め、理事長・審判部長を補佐した。

平成28年(2016年)度 育成功労賞

小田  和夫

 水産(現海 洋)・東舞鶴・西舞鶴・網野高校在職中、通算22年間にわたり野球部監督・責任教師を務めた。親身になっての暖かみのある指導により、大きく成長した生徒は多い。2年間京都府高等学校野球連盟理事として、本連盟の運営に力を発揮した。特に、京都府北部地域における高校野球の発展に 大きく寄与されました。
 よってその功績を認め、育成功労賞に値すると考え推薦する次第です。

平成27年(2015年)度 育成功労賞

藤本 長壽

 宮津高校・綾部高校在職中通算19年間にわたり、野球部監督・責任教師を務めた。野球の技術面のみならず精神面においても指導され、近隣の高等学校の範と なった。その点において京都府北部地域における高校野球の発展に大きく寄与されました。 よってその功績を認め、育成功労賞に値すると考え推薦する次第です。

平成26年(2014年)度 育成功労賞

阿波屋 義照

 国立舞鶴工業高等専門学校野球部創部以来、定年退官までの26年間、責任教師を務めた。1983年、全国高等学校野球選手権京都大会が初めて舞鶴球場で開催される際、その準備の中心となった。以後、京都府高等学校野 球連盟の理事を退官まで務め、審判部副部長も兼務する等、京都府の特に北部地域における高校野球の発展に大きく寄与されました。

平成25年(2013年)度 育成功労賞

緒方 靖信

 指導者として 京都府立田辺高校一筋で30年、多くの高校球児を育てられました。チームとしての記録は残っておりませんが、山城地区の高校野球の活性化と発展にご尽力されました。
 また、京都府高等学校野球連盟の理事としても永年お世話になりました。中でも、夏の選手権京都大会での総合司会という大役を10年間務めら れ、運営に貢献されました。

平成24年(2012年)度 育成功労賞

松本 信之

 1964年4 月京都府立網野高校の野球部監督としてスタートし、府立峰山高校・府立久美浜高校など、通算35年間熱心に指導者と して活躍された。また京都北部においては施設設備の不足、また交通の利便性も悪くチーム力も決してよくない時代が過去にあり、その中で北部校の 活性化に多大なる力量を発揮していただいた。峰山高校監督時代の第61回全国高等学校野球選手権京都大会で準優勝されており、北部地域の施設設備の充実発展や北部校のチー ム 力向上といった発展の基盤を構築された功績を評価されました。

平成23年(2011年)度 育成功労賞

谷口 邦夫

  1965年4月京都府立網野高校に赴任し、1976年4月から府立網野高校の野球部監督としてスタートし、府立加悦谷高校・府立宮津高校など、通算22年間熱心に指導者と して活躍された。また京都北部校の活性化に多大なる力量を発揮していただき、北部地域の施設設備の充実発展や北部校のチーム力向上といった発 展の基盤を構築された功績を評価されました。

平成22年(2010年)度 育成功労賞

久田 明信

  1963年4月洛陽工業高等学校軟式野球部顧問に就任し、同時に京都府高野連軟式部の理事となる。1973年4月から2000年3月まで理事長の重責を担い、その後2006年まで実に43年の永年にわたり京都軟式野球の運営、並びにその育成と発展に貢献した。その間1967年第12回全国 高等学校軟式優勝野球大会には監督として、1980年第25回全国高等学校軟式野球選手権大会には責任教師として選手を全国大会に導いた。

平成21年(2009年)度 育成功労賞

井上  明

  1982年4月府 立洛東高校に保健体育科教諭として赴任し、監督としてスタート。86年4月府立鳥羽高校に転任し、11年間監督部長を歴任し、この間春季 大会準優勝(88年)秋季大会優勝~近畿大会ベスト8(90年)、春季大会優勝~近畿大会ベスト4(96年)とチームを導く。その間多く のプロ野球・社会人・大学選手を育成。さらに91年から京都府高野連において理事・副理事長・副審判部長を歴任。2006年からは理事長 となり、この間日米親善野球大会、元プロ野球選手講習会・「夢の向こうに」現役プロ野球シンポジウム・近畿大会主管など多くの事業を計画 実践した。

平成20年(2008年)度 育成功労賞

池口 武吉

 1982年4月、 市立塔南高校に採用と同時に責任教師に就任。翌1983年4月より同校野球部の監督と責任教師を12年間務める。その後、1996年4月 より市立堀川高校に転勤、同校野球部責任教師に就任。翌1997年4月より同校野球部の監督・責任教師を9年間務められ、通算24年間の 指導経歴があり、1987年秋季大会ではベスト4・1988年(第70回大会)ではベスト4の実績を残す。また1983年より1997年 の間京都府高等学校野球連盟理事を、1997年より2005年の間同連盟副理事長を務め、高校野球発展に尽力。1997年に教育委員会表彰受賞・2004年3月に京都野球協会功績表彰受賞・同年11月に教育委員会功労賞受賞と数々の功績を残した。

平成19年(2007年)度 育成功労賞

梅谷  忠

 1965年4月、 学校法人真宗大谷学園大谷高等学校に奉職と同時に野球部長に就任。翌66年4月より76年3月まで監督を務める。その後5年間部長として チームを支えた後、81年4月から再び監督として指導。77年から88年まで12年まで京都府高野連理事、89年から94年まで6年間同 副理事長、95年から2002年まで8年間同理事長を務め、京都府高校野球発展に寄与した。30年に渡る指導の間には堀井恒夫(元大洋ホ エールズ、元横浜ベイスターズスカウト)北村俊介(元中日ドラゴンズ)藤原清景(元近鉄バファローズ)波留敏夫(元横浜ベイスターズ)など多くのプロ野球選手を輩出。95年から現在までの13年間、日本高野連評議員として活躍、現在に至る。

平成18年(2006年)度 育成功労賞

西野 文雄

 現京都府高校野球連盟参与。1965年4月学校法人ヴィアトール学園 洛星中学高等学校の保健体育科教諭として着任し、同時に中学と高校の軟式野球部兼監督として指導にあたる。着任後3年目までにそれまで 1・2回戦止まりであったチームを京都市中学野球選手権で準優勝に、また4年目の10月には京都府高等学校軟式野球秋季大会で初優勝に導 くなど、その指導力は高い評価を得られた。
 68年11月には、その実績と熱心な指導が認められ、洛星高校硬式野球部を発足、同時に部長・監督に就任。以来。準優勝1回、3位2 回、ベスト4が4回、ベスト8が15回の戦績を残す。中でも1986年秋季近畿大会で準優勝した明石高校に延長13回2対3のスコアで惜 敗し、翌春のセンバツには出場できなかったが、近畿地区補欠1位校に選ばれた。
 教え子の多くは東京大学・京都大学に進学し、野球にとどまらず、政財界、医学界、法曹界など多方面で活躍している。2003年5月から は京都府高等学校野球連盟理事長を務めた。

平成17年(2005年)度 育成功労賞

盛山  修

 元京都府高校野球連盟審判部長。紫野高校を皮切りに、桃山高校で部長監督。鳥羽高校で監督を務めた。連盟においても副理事長を歴任している。また多くの教え子が現在京都府で中心的指導者として活躍している。

平成16年(2004年)度 育成功労賞

三崎 嘉直

 元京都 府高校野球連盟副理事長。長年、福知山商業(現福知山成美)で部長監督を務め、同校を選手権京都大会で3度準優勝に導くなど、北部の高校野球発展に貢献した。

平成14年(2002年)度 育成功労賞

清水  茂

 元京都府高校野球連盟理事長。長年、花園高校で部長監督を務め、同校をセンバツ大会・選手権大会に導いた。